それは、ふいに思い出される「音」から始まる
「もう大丈夫」と思っていたのに、
ある日、テレビから流れる怒鳴り声に心がざわついた。
理由もわからないまま、胸が苦しくなって、
息をひそめてしまう。
――なんで、こんなことで動揺するんだろう?
そう不思議に思ったこともありました。
でも、ちゃんと理由があったんです。
子どもの頃に経験した、「忘れたいのに忘れられない記憶」。
私は今もその記憶と、一緒に生きています。
「大きな音」が怖い理由
「大きな音」が怖い。
「怒鳴り声」が胸に突き刺さる。
それがどうしてなのか、
自分でもはっきりわかるようになったのは、
大人になって、心の傷と向き合い始めてからでした。
目の前で起きていた、暴力と言葉の暴力
父は、よく怒鳴りました。
暴力も、日常的にありました。
大きな声で母を責め、
物を壁に投げつけたり、何度も殴ったり蹴ったり。
私の目の前で、母を怒鳴りつけたり、
言葉で深く傷つけるようなことを言ったり、
手が出ることが頻繁にありました。
子どもだった私は、何もできませんでした。
私は“何もできなかった自分”を、
ずっと責め続けていました。
声を押し殺して泣いた、あの日のこと
家の中にいるのに、安心できる場所がない。
怒鳴り声や大きな音がするたびに、
心臓が縮まって冷や汗が出る感覚。
私は、誰もいない部屋のすみっこで、
声を押し殺して泣いていました。
涙を見られたくなくて、必死でした。
今でもフラッシュバックする”あのとき”
あれから何年もたちましたが、
私は今でも、大きな音や怒鳴り声が苦手です。
テレビの怒鳴り声、誰かの怒った声を聞くと、
一瞬で心が固まってしまうことがあります。
あのとき感じた「怖さ」が、ふいによみがえる。
「もう終わったはずのこと」が、
まるで今、目の前で起きているかのように感じる瞬間があります。
私は、まだあのときの「泣いていた私」を、
どこかで守りきれていないのかもしれません。
その記憶とともに、前を向くために
この記憶にちゃんと目を向けて、前に進みたい。
あの頃の私が感じていた「こわかった」という気持ちを、
今の私が受けとめなおしたくて、今日はここまで書きました。
もちろん、1番つらかったのは母です。
「離婚」は精神的にも、体力的にも疲弊し、削られるものです。
当時、身体も心もボロボロだった母が、
必死で私や弟のために「離婚」という決断をしてくれたことには、本当に感謝しています。
父に対しても、父の生い立ちを知ってからは、
「憎む」「恨む」という気持ちはなくなりました。
今、もし同じように、
“昔の記憶”に苦しめられている人がいるのなら。
私は伝えたいです。
「その記憶を、否定しないで」
あなたが感じた“怖さ”は、
ちゃんとそこにあったものだから。
あなたが感じるどんな感情も、あなただけのものです。
誰かに否定されても、
あなただけは、自分を否定しないであげてください。
「こんな気持ちだったんだね」
「つらかったね」
あなたが、ゆっくりと当時の感情を受け止めて、回復していけますように。
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