“普通の家族”がうらやましかった|私にとって家族とは何だったのか

はじめに

「“普通の家族”って、何だろう。」

 

あの頃の私は、そんなことさえ分からなかった。

母が泣き続けているのも、怒鳴り続けるのも、どこの家でもきっとあることなんだろうと、

心のどこかで思い込もうとしていた。

 

母の体調が悪い時、

いつも家の中は張りつめた空気で、

安心も、安らぎも、どこにもなかった。

 

それでも、これが“当たり前”だと思っていた。

――そう思わなきゃ、やっていけなかったのかもしれない。

 

 

弟だけは守りたかった

 

そんな家の中で、私が心から思っていたのは、

「弟だけは、のびのびと育ってほしい」ということ。

 

弟には、普通の学生生活を送ってほしい。

 

小さな私が、もっと小さな弟を守ろうとしていた。

本当は、誰かに守ってほしかったのは、私のほうだったのかもしれません。

 

 

“普通の家庭”が分からなかった

 

周りの友達の話を聞いて、少しずつ気づいていった。

 

「家の中が1番くつろげるなんて…そういうもの?」

「え、お母さんと一緒に遊びに行くんだ。仲いいんだな」

 

そうやって、私の家とは違う「家庭の姿」があることを、だんだん知っていった。

 

最初は信じられなかった。

そのうち、うらやましくなった。

 

「帰りたいと思える家があって、いいな」

「将来もし家庭を持ったら、家を安心できる場所にしたい」

 

そう思うようになっていきました。

 

 

“普通”に憧れていたけれど

 

今も、どこかで「家族でごはんを囲む」「旅行に行く」――

そんな日常の風景に、胸が痛くなることがあります。

 

SNSで流れてくる、笑顔の家族写真。

友達の「家族と過ごした連休」の話。

 

心から「いいな」と思うけど、

同時に、自分の中のぽっかりと空いた何かが、ずっとあって。

 

「どうして、私には“当たり前”がなかったんだろう」

 

そんな思いが、今も心の奥に残っている。

 

 

さいごに

 

「当たり前」って、実はすごく尊いものなのかもしれない。

それがないまま育つことの孤独や混乱を、私はずっと抱えてきた。

 

でも今、当時の自分に言ってあげたい。

 

「当たり前や普通は存在しない」と。

 

誰かにとっての”当たり前”は、別の誰かにとって”当たり前”ではない。

このことに気づいてからは、自分の中の当たり前を人に押し付けたりしないように。

当たり前と思うことでも、いろんな立場の人がいる。

そのことを心の片隅において、言葉に気をつけるようになりました。

 

“当たり前がうらやましかった”という気持ちは、まだ消えない。

でも、それと共に生きていくことも、

私にとっての“生き直し”なのかもしれないと思っています。

 

 

 

 

次回は、「”家族であること”が私を縛りつけていた」

離婚した父との面会について、当時の気持ちを掘り起こしながら書いていけたらと思います。

 

 

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もち元ヤングケアラー×管理栄養士
元ヤングケアラーで管理栄養士のもちです。 昔の私と同じように悩んでいる人の力になりたいと思い、ブログで私自身のヤングケアラーとしての経験を発信しています。 ヤングケアラーの存在をもっと多くの人に知ってほしいと思っています。 統合失調症の母のケアの経験と心と身体に栄養を届ける時短レシピをシェアしていきます。