「誰も悪くなかった」と思いたかった私
母の病気も、父の事情も、それぞれに背景があって――
誰かひとりを責めたいわけじゃない。
できることなら「誰も悪くなかった」と思いたかった。
でも、それでも私は傷ついていた。
たくさん我慢して、感情を飲み込んで、
平気なふりをして笑っていたけど、
本当はずっと、苦しかった。
気づいてほしかった。抱きしめてほしかった。
誰のせいでもないけれど、
確かに、心はすり減っていた。
選択的おひとりさまーー複雑な気持ちと向き合うための選択
私は自分で、自分の時間を守ることを選びました。
それは、誰にも邪魔されずに、
自分の気持ちとゆっくり向き合うための時間。
怒りや恨みをずっと握りしめていたら、
前に進めないって、どこかで気づいていました。
だから、“選択的にひとりでいること”を選んだ。
誰からも影響を受けない場所で、
少しずつ、自分の中にある感情を見つめ直していった。
あの時間がなかったら、
私は今もきっと、父を恨んでいたかもしれない。
これまで感じてきた感情があまりにも複雑で、言葉では表しきれない”なにか”が、私の中で膨らんでいって。
だからこそ、“ひとりの時間”が必要でした。
自分の本当の気持ちと向き合い、受け止める。
そうすることで、少しずつ、心が癒されていきました。
“許す”という選択を、自分のために選んだ日々
「許した」というより、
「許したことにした」――そんな感じでした。
許すって、相手のためにするものだと思っていたけど、
本当は、自分を縛っている感情から自由になるための手段だった。
あの人たちに何かを伝えるためではなくて、
私自身が少しでも軽くなるために、
心の中で「もういいよ」と言った。
涙も、怒りも、恨んでいる人のために使い果たすのはもったいない。
その分のエネルギーを、
これからの自分のために使いたいと思えた。
傷をなかったことにはできない。でも、前を向くことはできる
「許す」って、過去をなかったことにすることじゃない。
その痛みを知っているからこそ、
今、ちゃんと自分を大切にしたいと思える。
あのときの私を救えるのは、
今ここにいる、私だけ。
“誰かを責める”という選択ではなく、
“自分を守る”という選択が、
ようやくできるようになってきたのかもしれません。
さいごに
最終回は、ずっと探し続けてきた「家族とは何か」について。
血のつながりよりも、“心のつながり”を信じて生きていきたい。
そんな想いを込めて、綴ります。
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