ケアと仕事と自分と。心と身体に栄養を届けたい私の話

はじめまして。元ヤングケアラーの管理栄養士です

このブログを見つけてくださって、ありがとうございます。

私は、24歳の管理栄養士で、母子家庭で育ち、学生時代から統合失調症の母のケアをしてきました。

現在は、「心と身体に栄養を届ける時短レシピ」をインスタグラムで発信しています。

今後はこのブログで「ヤングケアラー支援」に関する情報も発信していきたいと思います。

 

ヤングケアラーだった私のこと

私が”ヤングケアラー”という言葉を知ったのは、ずっと後になってからでした。

私が小学生の頃、父と母は離婚し、母子家庭で育ちました。

離婚の原因は父からのDVでした。その後、母はPTSD(心的外傷後ストレス障害)、統合失調症を発症。

中学生の頃から統合失調症の母のケアをするのが当たり前の毎日。(※時期によって双極性障害、躁うつ病など診断名が変わっていたため、ここでは統合失調症と表記しています)

数年周期で母が入退院を繰り返していたため、そのたびに、毎日洗濯、料理、買い物などの家のこと、薬をきちんと飲んでいるかもこっそり確認していました。(母にバレると「監視されている」と思われてしまい、薬を隠されたり、嘘をつかれたりすることがあったためです)

中学~高校と勉強やバイトをしながら、家のことと母のサポートを続けていました。

当時は、毎日ギリギリで、誰にも弱音を吐けず、「自分さえ頑張れば」と自分を追い込んでいたように思います。

でも本当は誰かに助けてほしかったし、「つらい」と言える場所がほしかった。

それでも、家族のことは友達にも先生にも話せなかった。知られたくなかったんです。

社会人になって限界を迎えた私

就職してからも、家のことと仕事の両立に悩み続けました。

入社当初は問題なかったのですが、次第に母の体調が悪化。

仕事と家庭の両立が難しくなっていきました。

また、母の話を聞くといった精神的ケアを続ける中で、私自身もつらくなり、職場でのパワハラも重なって、心がどんどんすり減っていきました。

「周りの人は普通に働けているのに、どうして自分だけこんなに苦しいんだろう」

そう思いながら、無理を重ね、ついに心も身体も動かなくなってしまいました。

病院で「適応障害」と診断され、同時に「発達障害グレーゾーン」との指摘も受けました。

実は、以前から仕事での段取りや人間関係がうまくいかない理由にずっと悩んでいたのです。

でもその診断で、「私が悪いわけじゃなくて脳の特性だったんだ」と知ることができ、少しほっとした気持ちにもなりました。

そのとき初めて、「今までずっと無理をしてきた自分」に気づきました。

この経験から、心と身体の健康こそが人生を支える”土台”だと痛感しました。

ブログで伝えたいこと

このブログでは、かつての私と同じように、誰かのケアをしながら毎日懸命に生きているあなたに向けて、

・ヤングケアラーに関する情報

・相談窓口や支援団体の紹介

・ケアの中で感じたこと(つらかったこと・嬉しかったこと)

・心と身体にやさしい時短レシピ

などを発信していきます。

がんばり屋のあなたが、少しでもホッとできる時間と栄養を届けたい。

「自分を大事にすることは、わがままではない、とても大切なこと」と伝えたいんです。

最後に

ここは、あなたが安心して立ち寄れる場所でありたいと思っています。

あなたのこれまでのがんばりにはちゃんと意味がある、ひとりじゃないこと、どうか忘れないでくださいね。

 

これから、どうぞよろしくお願いします。

気軽にコメントやメッセージもお待ちしています。

インスタグラムでは「心と身体に栄養を届ける時短レシピ」も発信中です。

フォローしてもらえたら嬉しいです。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です