はじめに
思い出したくないのに、
ふとした瞬間に、あのときの光景がよみがえる。
母が、泣き続ける姿。
狂ったように喋り続ける姿。
そのうちに、会話が成立しなくなって。
あの頃の私は、自分の心を、正気を保つことが難しかった。
「なんで、こんなことになったんだろう」
本当の原因は父のDVだったけれど、小さな私は、その答えを自分の中に探してばかりいました。
愛してるはずなのに、怖かった。
心配してるはずなのに、避けたくなった。
大切な人が、壊れていく――。
そんな日々を過ごしたことはありますか?
感情を押し殺すようになった原点
今思えば、
あれが私の“感情を押し殺す”生き方の始まりだったのかもしれません。
母が突然泣き出したり、怒鳴ったりするようになったのは、
私がまだ小学生だったころ。
「自分が何か悪いことをしたのかな」
子どもなりに、理由を探していました。
母の顔色をうかがって、家の空気を読みながら過ごす毎日。
あの頃の私は、母の変化を“自分のせいかもしれない”と思っていました。
どうしていいか分からなくて、「ちゃんとしなきゃ」って、ひとりで自分を追い込んでいました。
家族といても、ひとりだった
母が錯乱状態のとき、家のことは全部、私が抱え込んでいました。
弟には、背負わせたくなくて。
でも、そこまで抱え込まなくて良かったのかもしれない。
弟は家のこと、進んで手伝ってくれることはあまりなかった。手伝ってほしいと言えたらよかった。
苦しい気持ちを押し殺して「私がちゃんとしなきゃ」と思っていた。
母も弟もいるのに、心はずっと、ひとりでした。
愛と恐怖が同居する人
母が笑ってくれるとホッとした。けれど、次の瞬間には豹変する。
「優しさ」も「恐怖」も母から来ていた。
愛してるはずの人が一番怖い、信頼できないという矛盾。
「好き」と「怖い」が、同じ人に向かっている――
その感情を、どう扱えばいいのか分からなかった。
子どもだった私は、その矛盾の中で、ただ耐えるしかなかった。
一番に信じたい人を、信じられなくなってしまう。
そこから、人のことを信じられなくなってしまいました。
代わりに、信じられるのは、自分だけになっていった。
救急車を呼ぶ時も、最後は自分を信じて決断しなければならなかった。
どんな時も、最後に信じられるのは、自分ーー。
”信じられるのは自分だけ”になっていった理由
泣いても意味がない。誰にも話せない。
「話しても、理解してもらえないだろうな」と思っていました。
簡単に共感されたくない気持ちと、理解してもらいたくもないという気持ちの両方がありました。
無意識のうちに「自分を感じない」ことで、生き延びようとしていたんだと思います。
怒らない。期待しない。
それが、自分を守るための“生き方”になっていきました。
愛されたいのに、近づくのが怖かった。
笑顔を見たいのに、また怒るんじゃないかと怯えていた。
そんな日々が続くと、愛ってなんだろう、って分からなくなってくるんです。
一番に信じたい人を、信じられなくなってしまう――。
そこから、他者を信じることがどんどん難しくなっていきました。
信じられるのは、自分だけ。
誰にも頼れないなら、自分で決めて、自分でやるしかない。
そうやって、自分だけを信じて生きようとしてきた。
でも本当は、ずっと、誰かにわかってほしかった。
助けてほしかった。
…それでも、「裏切られるのが怖い」「信じて相談してまた傷つくのが怖い」と、
心のどこかでブレーキをかけてしまう。
今の私も、
他者を信じることが、まだ少し怖い。
でも、誰かと一緒に生きていくためには、
「信じてみたい」と思う心も、大切なんじゃないかと思っています。
少しずつ、人の温かさに触れながら、
信じられる感覚を取り戻していけたら。
そう願いながら、今日も、自分を整えています。
次回は、「弟だけは守りたかった」私の思いと、
“普通の生活”を取り戻したかった子ども時代のことを、お話しします。
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