離婚後の面会がつらかった|父に会うたび心がすり減った私の記憶

はじめに

「会いたい?」って聞かれても、

私はただ、うなずくしかなかった。

 

まだ小さかった私に、

「会いたくない」とは言えなかった。

大人の顔色をうかがうのが、すっかり“当たり前”になっていたから。

父との面会ーーその実態

父との面会は、いつもショッピングモールだった。

父方の祖父母も一緒だった。

母方の祖父母に連れられ、父と父方の祖父母に引き渡される形で面会していた。

服やカバン、靴――欲しいものは何でも買ってもらえた。

 

一見すると、仲のいい親子に見えたと思う。

でも、内心はとても苦しかった。

 

会話はぎこちなくて、

父は普通に話していても、私はただ心がすり減っていくのを感じていた。

沈黙が多く、心だけがどんどん遠ざかっていくような時間だった。

 

父の自己中心的で見下すような言動も嫌だった。

 

「お母さんとはうまくやってるか?」

 

そんな言葉を聞くたび、胸の奥がざわついた。

「お母さんがどんな状態になってるか、知ってるの?」って、言いたくても言えなかった。

 

受験と母のケアが重なっていた時期、

「誰のせいでこんなことになってるかわかってるの?」って叫びたくなった。

 

でもそれも言えなかった。

暴力を振るう父を見てきたから。

何をされるか分からなくて、ただ怖くて――声が出なかった。悔しかった。

 

そして、もうひとつ、”ある事情”があった。

当時の気持ち

「父に会いたい」と思っていたのは、小さな頃だけだった。

成長して、離婚の理由を知ったあと、母が壊れていくのを見てきて――正直、もう会いたいとは思えなかった。

 

でも、「会わない」という選択は、

なぜか“悪いこと”のように思えて、できなかった。

 

“ある事情”を知ってからは、もっと「会うことがつらい、面会をやめたい」と言えなくなった。

 

血がつながっているから、大事にしなくてはいけないのだろうか?

疑問を持ちながらも、

“家族だから我慢する”ことが、いつの間にか当たり前になっていた。

“家族だから”という言葉は、私の心をずっと黙らせていた。

今、思うこと

血のつながりだけでは、信頼は築けない。

「父が嫌い」と思った自分に戸惑った時期もあった。

でも、それは自然な感情だったんだと、今は思える。

 

“家族だからこうあるべき”という理想に、

共感できなかったり、むしろ傷ついてしまう人だっている。

 

たとえば――

 

母の日・父の日の広告に、なんとも言えないモヤモヤを感じたり

 

お盆や年末年始、「ちゃんと実家に帰ってあげなよ」という言葉に苦しくなったり

 

「実家暮らし?いいね〜楽でしょ」と言われるたび、胸がつぶれそうになったこともある

 

 

私は“家族”に、もう縛られたくない。

 

世の中の“当たり前”が、誰かをそっと傷つけていることもある。

そんなことを、どうか忘れずにいてほしい。

さいごに

あの頃の私は、父に会うたびに心がすり減っていた。

それでも、「家族だから」と、ずっと自分を納得させていた。”ある事情”もあった。

 

でも今なら、あのときの私に言ってあげたい。

 

「会いたくないなら、会わなくていいんだよ」

「“家族”に縛られて、苦しまなくていいんだよ」

 

あなたの心は、あなたが守っていい。

どうか、自分の気持ちを、大切にしてあげてほしいです。

 

次回は、私を縛った”ある事情”とは?

当時の気持ちとともに、綴っていきます。

次回の記事はこちらから↓

親の離婚後も続いた面会|私を縛った”ある事情”

 

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もち|元ヤングケアラー×管理栄養士元ヤングケアラー×管理栄養士
元ヤングケアラー・管理栄養士のもちです。 統合失調症の母を支えながら育ち、ヤングケアラーとして過ごしてきました。 このブログでは、当時の経験や感じてきたこと、家族との向き合い方、そして「がんばらないを、がんばる。」をテーマに、心と身体をいたわる食と暮らしを発信しています。 昔の私のように、一人で悩んでいる人へ「あなたは一人じゃない」と伝えたい。そして、ヤングケアラーという存在をもっと多くの人に知ってもらいたいという思いで活動しています。 将来は本を出版し、今つらい誰かが最後のページを閉じたとき、「もう少し生きてみようかな」と思える一冊を届けることが夢です。 この場所が、誰かにとってほっと息をつける居場所になれたら嬉しいです。