描いていた“理想の家族”と現実のギャップ
子どもの頃、私が理想として思い描いていた家族は、
仲が良くて、安心できて、つらいときには支え合える存在でした。
でも現実は――
食卓に会話はなく、母は病気と闘い、父とは心の距離がありました。
恐怖や孤独の入り混じった家庭で、「家族だからこそつらい」と感じたこともありました。
「なんで私の家は、違うんだろう?」
そんな問いが、胸の奥にずっとありました。
“家族”のかたちは、自分で選んでいい
家族とは、血のつながりがすべてではない。
どれだけ血縁があっても、
自分を傷つける関係を、無理に続ける必要はないと思います。
「家族なんだから」「親なんだから」と言われても、
自分の心をすり減らしてまで関わることはない。
大切にしたいのは、
心が通い合うつながり。
“自分が安心していられる関係”こそ、私にとっての家族です。
私を支えてくれた、“血はつながらないけれど大切な人たち”
本当に苦しかったとき、そばにいてくれたのは、
血のつながりがないけれど、大切な友人たちでした。
小学校で、毎日一緒に遊んでいた子たち。
中学で、クラスや部活で一緒に笑い合った人たち。
高校で、共に必死になって受験勉強を乗り越えたクラスメイトたち。
大学で、励まし合いながら課題の山をこなした同じ栄養学科の子たち。
どの瞬間も、救われていたのは私の方でした。
ただ隣にいてくれたことが、どれだけ嬉しかったか。
そこにいてくれたこと、存在そのものが救いでした。
どれだけ、孤独の中で心がほどけたか。
今でも、感謝の気持ちでいっぱいです。
そして、これまで”家族であること”に苦しみ、
“恋愛も結婚も幸せなものではない”
“こんなに苦しいのなら、家族なんてつくりたくない”
そんなことを思った時期も、たしかにありました。
傷ついてきた私が、
“それでも家族を持ちたい”
“前向きに進んでいきたい”
そう思えたのは、あたたかい家庭への憧れと、ある友人のおかげでした。
その友人の言葉や行動には、明るくて前向きなパワーがあって、いつも会うと元気をもらえていました。
自分の失敗や恥ずかしい話すら笑いに変えて、常に周りの人を笑顔にする。
そんな姿にいつも、尊敬と信頼を抱いています。
そんな友人がいてくれたからこそ、つらいことがあっても、会うたびに、
“私も前向きに生きよう”
と思えました。
私もそんなふうに、会うと元気をもらえる人、心が安心する人になりたいなと思います。
このシリーズを読んでくださった方へ
自分の過去を言葉にするのは、正直とても勇気が要りました。
“ヤングケアラー”という言葉を知ってから、自分の経験してきたことが何か役に立つのではないか。
“ヤングケアラー”の存在をもっと多くの人に伝えたい。
今まさに苦しんでいる人たちの力になりたい。
そんな思いで始めました。
そして、自分のためでもありました。
「生きているだけでなんでこんなに辛いんだろう」
と思ってしまう思考から抜け出したい。
自分で自分を愛して、幸せにできる人生を歩んでいきたい。
今は、「書いてよかった」と思っています。
これを読んでくれた誰かが、
「自分だけじゃない」と思えたり、
少しでも心が軽くなったりしたなら、それだけで意味がある気がします。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。
さいごにーーこれは“終わり”ではなく、“始まり”
このシリーズはここで一区切りですが、
私の人生は、まだまだ続いていきます。
これからも「誰と、どう生きていくか」を、
自分の心に正直に、選んでいきたい。
“家族って何だろう?”
その問いと共に、私はこれからも生きていきます。
もし、あなたにとっての“家族のかたち”や、“支えになってくれた誰か”がいれば、そっと思い出してみてくださいね。
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