私の経歴と心の記録|元ヤングケアラー管理栄養士のこれまで

はじめに

こんばんは。ブログを読んでくださりありがとうございます。

今回は、私がこれまで経験してきた「仕事」と「ケア」と「自分自身との向き合い方」についてお話したいと思います。

管理栄養士としてのキャリアはまだ長くありませんが、ヤングケアラーとしての生活や心の不調、そして回復の道のりは、今の私の一部でもあります。

同じように、がんばりすぎてしまう誰かの心が、少しでも軽くなりますように。

 

新卒1年目。保育園で働きながら、限界の日々

管理栄養士として最初の職場は、保育園でした。

「子どもたちの笑顔のために、安全でおいしい給食を届けたい」と夢を持って入社しましたが、現実は想像以上に厳しく、上司からのパワハラや、日々の業務の量とスピードに圧倒されました。

当時、うまく段取りが組めなかったり、確認ミスが続いたりと、

「自分は向いていない」「努力が足りない」と自分を責めてしまっていました。

のちに、「発達障害グレーゾーン」と診断されるのですが、この頃は自覚がなく、発達障害に特有のミスであることに気が付かず、ただ、ひたすらに耐えることしかできませんでした。

そんな中、母の入退院が重なり、家事・ケア・仕事の全てを抱えることに。

心も身体も限界を迎えた私は、それでも「1年はここで頑張る」と決めていたため、転職活動をしながら踏ん張り続けました。

でも今は思います。

「決めた期間」よりも「あなたの心と身体」を何より大切にしてほしい。

どれだけ頑張るかより、どれだけ自分を守れるかが大事なんだと、今なら言えます。

 

社会人2年目。新しい職場で限界を迎える

転職先は、歯科医院の管理栄養士。

心機一転、ここから再スタートと思っていました。

しかし、入職して2日後、突然身体が動かなくなり、出勤できなくなってしまいました。

病院で「適応障害」と診断され、さらに「発達障害グレーゾーン」の可能性もあると伝えられました。

ずっと感じていた「仕事がうまくいかない理由」にようやく少し答えが見えた気がしました。

でも同時に、「普通に働けない自分」が情けなくて、悔しくて、涙が止まりませんでした。

 

無職。ニート期間。それは”必要な時間”だった

その後、職場復帰は出来ず、次の職場も決まっていないまま退職。

私は”無職ニート”になりました。

「何もできていない」「働いていない私は価値がない」と自分を責める日もありました。

でも、少しづつ時間をかけて自分の声を聞けるようになっていきました。

がんばりつづけることだけが人生じゃない。

立ち止まることは逃げじゃない。

この期間は私にとって”必要な充電期間”だったのだと思います。

 

今。そしてこれから

今は、派遣として研究所に勤務しながら、Instagramで「心と身体に栄養を届ける時短レシピ」を発信しています。

そしてこれからは、ヤングケアラーとしての経験について、発達障害グレーゾーンとの向き合い方などについても、少しずつ発信していきたいと思っています。

どんな経験も、どんな時間も、意味がなかったものは1つもない。

辛かったことも苦しかったことも、全て自分の糧になっていると、私は信じています。

 

最後に

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。

過去の私のように、誰にも相談できず、ひとりで抱えてしまう人に向けて、これからも発信していきます。

「あなたのままで大丈夫」

「がんばりすぎないで」

そんなメッセージが、届きますように。

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