はじめに
「大学も就職も“家から通える場所”でしか考えなかった」
「本当はもっとやりたいことがあったのに、口に出すのも怖かった」
誰かを支えながら生きてきた人ほど、
自分の希望を“わがまま”のように感じてしまうことがあります。
私自身、選ぶことに、前に進むことに、いつも罪悪感がつきまとっていました。
母と弟を残して一歩踏み出すとき、
強い後ろめたさを感じていた私が、今あの頃の自分に言いたいこと。
「あなたの人生も、大切にしていい」――。
自分だけ幸せになっていいの?
母を施設に入れる決断をしたとき。
友達と旅行に行ったとき。
それが“悪いこと”じゃないとわかっていても、
胸の奥では、ずっと何かが引っかかっていました。
母の体調が落ち着いているときを選んでいたし、色々と準備もしていた。
それでも、「私だけ楽しんでいいのかな」と思ってしまったんです。
記憶に残らない”ケアの時間”
母は、錯乱状態のときの記憶がありません。
だから、私が仕事を休んで見守っていたことも、
心配で夜中まで付き添っていたことも、
退院後にはまったく覚えていませんでした。
母には自分が病気だという認識も、
私にケアしてもらっているという認識もありません。
病気の特性だからと頭では理解していても、
心がついていかないときもありました。
“ケアしていた時間”が母の記憶に残らないことは、
“私のがんばり”そのものが存在しなかったことになるようで――とても、つらかった。
「どうしてわかってくれないの…」
最初はそう思っていたけれど、
やがて私は、“わかってほしい”とさえ思わなくなっていました。
どこかで投げやりになっていたんだと思います。
そして、そんなふうに思ってしまう自分に、また罪悪感を感じていた。
罪悪感を抱えすぎないためのヒント
罪悪感は、自分が「間違っている」と感じたときに生まれやすいそうです。
でも、ケアと生活の両立をしている中で、
「正しさ」だけで判断できない選択がたくさんあるのが現実です。
たとえば、
-
自分の夢を優先しようとしたとき
-
誰かに頼ったり、甘えたくなったとき
-
ほんの少し、自分の楽しみを持ちたくなったとき
本当はどれも「悪いこと」ではないはずなのに、
「私ばかり楽をしているのでは」
「誰かを苦しめてしまうのでは」
そんな不安が心の中に広がって、動けなくなることがあります。
でも、覚えておいてほしいのは、
その感情は、あなたが誰かを思っている証拠。
あなたにも、休む権利がある。幸せになる権利がある。
それは、誰かを見捨てることとは違います。
私も、すぐにそう思えるようになったわけではありません。
でも少しずつ、
- “誰にも言えなかったこと”を信頼できる人に話す
- ほんの少し自分の時間を優先する
- 誰かの「ありがとう」や「助かったよ」の言葉を素直に受け取る
――そんな小さな経験を積み重ねるうちに、
やっと「私の気持ちも大切にしていいんだ」と、思える瞬間が増えてきました。
とは言っても、こう思ってしまうことはありませんか?
「こんなことで相談してもいいのかな…」
「これは甘えなんじゃないか…」
「自分がもっと頑張ればいいだけでは…」
私も、そうやって自分に言い聞かせて、
無理を続けた結果、体調を崩したことがありました。
でも今は、はっきりと伝えたいです。
限界を感じるラインは、人によって違います。
心と身体は、一度壊れてしまうと簡単には戻せません。
あなたの心と身体が壊れてからでは、遅いんです。
だからこそ、少しでも「つらい」と感じたら、
その気持ちにフタをせずに、どうか誰かに話してみてください。
それは“甘え”ではなくて、
あなた自身を守るために必要な「行動」です。
さいごに
次回は、もし今あなたが「つらい」「限界かもしれない」と感じていたら、
すぐに頼れる支援先・相談窓口をまとめた記事をお届けします。
「がんばりすぎているかも」と感じたら、一度立ち止まって読んでみてくださいね。
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