「大丈夫なふり」で、心がすり減っていった
学生時代にずっと「家族のこと」を抱えてきた私は、社会人になってからも、どこか“がんばり続けること”が当たり前になっていました。
働けるようになったのだから、普通に働いて、自立しないと。
そんなふうに、自分にプレッシャーをかけ続けていた気がします。
でも、心のどこかでは気づいていました。
――このままじゃ、続かない。
仕事のこと、家のこと、過去のこと。
周りと比べて、自分の「足りなさ」ばかりが目について、焦って、落ち込んで。
適応障害と診断されてからは、
無職だった期間もあって、
「自分は社会の役に立てていない」
「自分なんて無価値だ」
「生きている意味がわからない」
と思ってしまうようになっていました。
「まだ大丈夫」は、もう大丈夫じゃなかった
ある日、朝起きると動けなくなっていました。
出勤しないといけないのに、身体が動かない。
ベッドの上で涙が止まりませんでした。
このままでは本当にダメになる。
そう思い、動かなくなった身体を無理やり動かし、すがるような思いで病院へ行きました。
そして「適応障害」と診断されました。
「やっぱり……」
という気持ちと、
「こんな状況なら仕方ないよね……」
という気持ちもあり、ショックではありましたが、
どこか納得している自分もいました。
今思えば、体と心はとっくに限界のサインを出していました。
- 鏡を見ることがなくなり、メイクもおしゃれも放り出した
- 洗顔や歯磨き、入浴すら面倒に感じるようになった
- 大好きだった「食べること」すら楽しめなくなっていった
- 眠れない日が続いた
- 人と会うのが怖くてたまらなかった
- 外に出ると人の目線が怖くて仕方なかった
- 常に責められているような気がした
- ふとした瞬間、涙が止まらなくなった
- 気持ちが沈んだまま、戻らない
どれか一つだけだったら「たまたまかな」と思ったかもしれないけど、全部が少しずつ積み重なって、私は心を閉ざしていきました。
ケアする人ほど、「自分のことは後回し」になりやすい
誰かのために動くことに慣れすぎて、「自分をケアする」ことを後回しにしてきた私。
でも、それが限界を超えたとき、「もう、がんばれない」がやってきました。
「自分のことなんて、後でいい」
「私より大変な人がたくさんいるんだから、甘えてはいけない」
そんなふうに思っていたけれど、今ならわかります。
本当に大切なのは、「自分の心の声に、耳を澄ますこと」だったんだと。
「自分を守る」ことは、弱さじゃなかった
休むこと、無理をやめること、誰かに頼ること――
それらは「逃げ」でも「甘え」でもなく、自分の人生を大切にするために必要なことだったんだと思います。
「自分を守る」という選択肢を持てたとき、ようやく気づきました。
他人に優しくする前に、自分にもたくさん優しくしていい。
「大丈夫?」と声をかけるように、自分にも「大丈夫?」と問いかけてあげていい。
誰かを支えるには、まず自分自身がしっかり立っていること。
さいごに
この投稿をここまで読んでくださった方の中にも、
「無理しているな」「もう限界かも」――そう感じている方がいるかもしれません。
どうか、自分の気持ちを置き去りにしないでください。
家族のケアをしているかどうかなんて関係ない。
今がつらい、すべての人に届けたいです。
「休みたい」「ちょっとつらい」そんな小さな声を、どうか否定しないであげてほしい。
あなたがあなた自身を大切にすること。
それは、決してわがままなんかじゃありません。
「自分を守ること」は、あなたがこれからも”あなたらしく”生きていくために、いちばん大事なことだと、私は思います。
次回は、父への”怒り”や”憎しみ”を手放し、”許す”ことができた道のりを、綴っていきます。
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