DV・離婚の連鎖は止められる。父のようにはならないと決めた私の話

 

はじめに

 

「あれ、今の自分…父親に似てる」

 

そう気づいた瞬間、背筋が凍った。

私は、父親のようにはなりたくなかった。

優しくなりたかった。誰かを支えられる人間でいたかった。

 

でも、心の奥底に溜まっていた怒りや悲しみが、

ある日ふいに溢れて、自分でもどうしようもなかった。

 

“これが連鎖なのかもしれない。”

 

私はそこで、ようやく決めたんです。

「この苦しみは、私で終わらせる」と。

 

 

父と自分が重なってしまった瞬間

 

ある日のこと。

母の状態が悪化して、何を言っても通じなくなってしまったとき。

何度も何度も会話を試みて、それでもかみ合わなくて……私は限界でした。

 

ついに感情が爆発して、母に怒鳴ってしまったんです。

 

その直後、頭の中に浮かんだのは——

「父親と一緒じゃん」という言葉でした。

 

怒鳴る父を見て嫌悪していた私が、同じように怒鳴っている。

「絶対に同じになりたくない」と思っていたのに、

なってしまう怖さ、どうしようもない無力感。

 

別の日に、母と口論になった時にも、「父親とそっくり」と母から怒りながら言われました。

本当に言われて嫌な気持ちになる言葉でした。

同時に自己嫌悪が止まりませんでした。

 

“血のつながり”って、こんなにも逃れられないものなのか。

そう思って、しばらく立ち尽くしました。

 

 

“終わらせる”という選択

 

父の生い立ちを、のちに父の妹(私から見て叔母)から聞きました。

叔母も私の母と同じく暴力や暴言を受けていたそうで、私や弟のことを心配してくれていました。

父の母、つまり私の父方の祖母も、幼い頃に虐待を受けていたと。

その結果、祖母は精神疾患、アルコール依存症もあり、情緒不安定な状態で父を育てたのだと。

父方の祖父は、そんな祖母の様子を一切心配せず、家庭を顧みない人だと教えてくれました。

そんな祖父母に育てられた父もまた、精神疾患を抱えてしまった。

その話を聞いて、思いました。

「誰も、好きでそうなったわけではない」

 

でも、それでも私は強く思いました。

「この連鎖は、私で終わらせる」と。

 

もしこのまま、私が家庭を持ったとしたら——

また同じことを繰り返してしまうかもしれない。

その可能性が、ただただ怖かった。

 

絶縁を決めたのは、逃げではありません。

自分と、未来の家族を守るための決断でした。

とても勇気がいったけれど、それしかありませんでした。

 

これまでの苦しみも、これからの不安も、全部抱えて。

私は、あの連鎖に、終止符を打つと決めました。

 

 

管理栄養士になりたかった理由

なぜ、私は管理栄養士になりたかったのか。

色々な理由がありました。

きっかけは、父方の祖母が栄養士だったことでした。

そして何より「あたたかい家庭」をつくりたかったから。

私にとって、食卓は“安心の象徴”でした。

 

母が入院している間、温かいご飯が並ぶテーブルを弟と囲む。

それだけで、少し安心できました。

 

「いつか自分の家庭を持てたら、そんな安心を届けられる人になりたい」

その想いが、いつしか夢になりました。

 

そしてもう一つ。

“手に職”があれば、万が一離婚しても、自立して子どもを育てられる。

あの頃の私が一番欲しかったもの——

「安心」と「自立」

自立した私で、自分自身も安心できる居場所をつくる、

そして、安心を、未来のパートナーと子どもに渡せる、

それができる仕事がしたかったんです。

 

 

私で、終わらせる。

 

私は、父のようにはならない。

苦しみを、ここで終わらせる。

それが、未来の私の希望になると信じているから。

 

苦しみを知っているからこそ、私は優しさを選びたい。

これまで親にされて嫌だったことがたくさんある分、自分のパートナーや子どもにしてあげたいこと、かけてあげたい言葉の引き出しがたくさんあります。

結婚やパートナーシップを結ぶかどうかは、まだ分からないけれど、

これから、もしも、

大切に想える人ができたら、

相手からも同じように想ってもらえるなら、

 

私はーー

パートナーや子どもたちを、ちゃんと幸せにできる

そう信じています。

 

“血のつながり”に縛られず、

“心のつながり”を大切に育てていきたい。

 

さいごに

父とは、今はもう会っていません。

父との面会はつらい時間でしたが、学べることがたくさんありました。

日々の自分を省みて、他者とどう向き合うか——

そんなことを深く考えるきっかけになった人でした。

 

  • 自己中心的で見下すような態度は、人を遠ざけること。
  • 暴言や暴力といった“支配”や“依存”は、愛ではないこと。

 

また、生活をうまく回していく方法や、健やかに生きるためのヒントは、母を反面教師にして学んでいきました。

 

  • 完璧主義を手放し、「完了主義」を心がけること。
  • 便利な家電や道具に頼ること。

 

「苦手な人やつらい経験からこそ、学べることがある」

 

私にとっては、父と母がその存在でした。

 

父との面会が終わり、関係を絶って、ようやく「心の平穏」を、少しだけ取り戻せました。

でも、その後も続く母との生活のなかで、仕事のストレスも重なり、私は少しずつ壊れていきました。

 

誰にも気づかれず、ひとりで抱え続けた違和感と苦しみ。

 

次回は、「限界を越えた私が、適応障害と診断されたときのこと」を綴ります。

 

次回の記事はこちらから↓

もう無理しない|“自分を守る”ことを選んでよかったと思えるまで

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ABOUT US
もち|元ヤングケアラー×管理栄養士元ヤングケアラー×管理栄養士
元ヤングケアラー・管理栄養士のもちです。 統合失調症の母を支えながら育ち、ヤングケアラーとして過ごしてきました。 このブログでは、当時の経験や感じてきたこと、家族との向き合い方、そして「がんばらないを、がんばる。」をテーマに、心と身体をいたわる食と暮らしを発信しています。 昔の私のように、一人で悩んでいる人へ「あなたは一人じゃない」と伝えたい。そして、ヤングケアラーという存在をもっと多くの人に知ってもらいたいという思いで活動しています。 将来は本を出版し、今つらい誰かが最後のページを閉じたとき、「もう少し生きてみようかな」と思える一冊を届けることが夢です。 この場所が、誰かにとってほっと息をつける居場所になれたら嬉しいです。